12月の中旬に入って、ああ、もう年賀状を書かなければ、と思う。
昨年はズルをして。自分からは出さなくて。
いただいた方にだけ返そうと。
すると、本来はこちらから出さなければならなかった方からいただいて。
恐縮して、ちょっと居心地の悪い思いをした。
まあ、今年は、つながりを断ちたくない人には自分から出そう、と思って。
用意し始めたのだけど、今度は、一太郎が入っているWindowsパソコンが開かない。
ううう。なんでも「PIN」を入力しないと、開けないことになっていて。
…「PINを忘れた」という表示にクリックしたら、開いていたのに。
もう、「許される」時期は過ぎたのかなあ…。いい気になって放っておいたから。
…そうね。このところ、MacBookばかり使っていたから。
年賀状。一年に一度しか連絡を取らないなら、とそのことに、昨年の今頃はちょっと意味が見出せなくなって。
でも、今年の今頃は、一年に一度、気に掛けるというのも有りか、とも思う。
一緒に年を重ねるのでもない。
別々な時間と空間で。それぞれの思いを抱えながら。
せめてもの相手の無事を祈る。
連絡を取らなくなっていった人は、つながりが薄れていった人。
でもまあ、それも有り、か。
その時必要だったつながりも、今はもう感じられない、というならば。
(「光陰の矢」って「光陰矢の如し」の矢、ね。
「光陰」ってそもそも年月のこと、ではなかった?
「矢の如し」で、矢のように素早い、の意味のハズ。
「光陰の矢」で区切られると、そういう「矢」があるみたい。
…ちょっと、詩人の茶目っ気を感じます。)
人生の残り時間をカウントするようになって、
何がしたいか、何はしたくないか、がはっきりするようになって。
今の状況がまるで想像できない相手は、もういいか、と思ったのだ、昨年。
あるいは。奈良に帰ってきて4年経って、会いたいと思ってもらえない相手にも、もういいか、と。
さらには。会っても、何も生まれない相手にも、もういいか、と。
スッキリ整理しようとして、整理できない、ものがあることを知る。
そういったものは、「保留」。保留した先に、そのうち「気持ちが置き場所」が見つかるかもしれない。
ただ、待っていればいいのだ。
答えは常に自分の内(なか)にある。
画像はクリスマスバージョンのアンジー。
「ドッグサロンそら」さんで撮ってもらったもの。
今年はサンタスタイルじゃないんだね。