月1回の万葉集の会。
巻十一の無名歌人の歌の続き。
剣太刀(つるぎたち) 両刃(もろは)の上に 行き触れて 死にかもしなむ 恋ひつつあらずは(二六三六)
刃が両面となっている剣太刀。
そのキッサキに。突進して死んでしまいたい。これほど辛く恋続けているよりは。
過激な表現で気を引く戦法。
講師先生曰く、「今の時代、恋が辛くて死にたいという人、いる? いないよねえ」。
…笑ってしまった。
そうかもしれない。それでも。そんなふうにストレートに表現しないだけで。
それほど、人の心が変化した、とは思えない、んだけど。
時守が 打ち鳴(な)す鼓(つづみ) 数(よ)みみれば 時にはなりぬ 逢(あ)はなくも怪(あや)し (一六四一)
時守とは、陰陽寮【おんようりょう・律令によって整備された機関の一部、中務省(なかつかさしょう)に属する部署で、暦を作る技官のほかにも、吉凶を占う、土地の良し悪しを判断する、時刻を計るといった職務があり、占いや呪術を用いることで広く知られる陰陽師(おんみょうじ)も所属していた】に所属する、時刻を知らせる役人。
朝6時・昼2時・夕6時・夜は3回(早夜8時・中夜10時・後夜4時)、計6回を知らせたらしい。
鼓、といっても。大きな太鼓のようなもの、だったらしい。
時を知らせる役人が打ち鳴らす鼓の数を数えていたら。
もう二人が逢う時間になった、というのに。あなたは来ないわねえ。おかしいなあ。
宮材(みやぎ)引く 泉(いづみ)の杣(そま)に 立つ民の 休む時なく 恋ひ渡るかも(二六四五)
宮材とは、宮殿を造る木材。
杣とは、古代から中世にかけて律令国家や貴族・寺社などのいわゆる権門勢家が、造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと。
泉とは泉川、今の木津川。
民とは、租庸調の税制のうち、庸に当たる役民。
【「租」は、田んぼで収穫したお米を税として納めること。 「庸」は都で働くことで税を納めるか、代わりに布などを納めること。 「調」は布や特産物(絹・紙・漆、工芸品など)を税として納めること。】
「渡る」とは、何かをし続けること。時間的にも空間的にも。
宮殿を造る材木を切り出す泉川の杣(そま)山に入って立ち働く民が休む間もないように、
私はあなたをずっと恋い続けています。
「宮材引く 泉の杣に 立つ民の」は「休む時なく」を導くための序詞。
「休む時なく」を表現するのに、どんな「喩え」が相応しいか。
永遠に続くかのように思える役民の苦役。
それは永遠に続くかのように思える恋の苦しみと重ね合わせるのが丁度いい。
ここで講師先生が私に、序詞のことについて聞かれたりするものだから。
ドキマキしながら、遠い記憶を手繰り寄せて、序詞の長さの時代的変遷の話をしたけれど。
今、思い出すと。
掛詞(かけことば)で、序詞から本筋への切り替えをするようになったのが、古今和歌集、だったかもしれない。
序詞と掛詞との組み合わせ、はそれほど万葉集では見られないかもしれない。
まあ。もうちょっと。確認しなきゃ、ね。
画像は、今年、買ってきたハイビスカス。
花は1日しか持たないけど、咲くと、とてもとても勢いがある。
万葉びとの情熱の真っすぐさに似ていると思う。