昨日は先月に引き続き、一般社団法人 なら人材育成協会主催の「不登校・ひきこもり親子セミナー」に参加しました。3回シリーズの2回目で、今回のテーマは「親子の交流を振り返る」というものでした。臨床心理士の大林裕典(ゆうすけ)さんと、同じく臨床心理士の中東照幸さんにお話いただきました。「はまりやすい家族のパターン」として3パターンが提示されました。パターン①は「叱咤激励する親と家族から引きこもる本人」、パターン②は「混乱の中で安定・維持する本人・家族」、パターン③は「他罰的になる子・自罰的になる親」(つまりは、子どもは親のせいにし、親は自分の責任と思って子どもの言いなりになる)という関係だそうです。
その分類も分かりやすくて良かったのですが、私がなるほど! と思ったのは、精神科医の斎藤環氏の言葉を用いた「『対話』と『独りごと』の違いの解説でした。
「一方的決めつけ」や「判断の押しつけ」「叱咤激励」は「独り言」だというのです。「対話」は「本人の不安を取り除き、信頼感を増し、本人の気持ちを活性化させるもの」だから、その正反対の結果を生み出すものは、本人の心に届かない「独り言」に過ぎない、ということなのでしょう。
そのことも、なるほど!ではあったのですが、そういった「対話」をするためには、今回、表題とした「内容の無い会話をどれだけ続けることが出来るか」が鍵となるということに、私はなるほど!と思ったのでした。
「内容の無い会話」って、つまりは良いとか悪いとかの「評価を含まない」会話ということだと私は理解しています。
今日はお天気が良くて気持ち良かったよ、とか、梅の花が咲いてたけど、あれは寒梅かしらね? とか、いいも悪いもなく、ただそんなふうに感じた、ということを伝える会話とでも言えばいいのでしょうか。
そんななんでもない会話がどれだけできていなかったか、命令したり指示したり禁止したりが、親子の会話のどれだけを占めていたか、それじゃあ、家での話が楽しくないよね…ということに気づけたら、関係も変わってきますよね。
誰でも、責められたり叱られたりは嫌で、認められたり任されたりが嬉しい。毎日そういう『対話」、相手の心に届く会話が増えていったら、家の中に「居場所」を感じ、居心地よくなっていくと思います。
さて、何から始めましょう? まずは、今日、自分自身がちょっぴり嬉しかったこと、ちょっと気分よかったこと、ぐらいから話し始めましょうか?