そうそう、今年こそは「お水取り」に行かなくっちゃ、と、本当は、先週の金曜日に計画していたのだけど。
その日はとても冷え込んで。5時ぐらいの杏樹(アンジー)の散歩では、雪までチラついて。
とてもムリ、と断念しました。
で、仕切り直しは、今週月曜12日。
30年ぶりぐらいに、元同僚と会って。
まずは、沖縄料理を楽しんで。
それから、ゆるりと東大寺二月堂へ。
なんでか、この日はお松明が、19時半からで。
つまりは、「特別な日」だったようで、半端ない人出で、ビックリ。
ゆるゆると進んでいくのが、まるで「初詣」のような行列で。
お松明も、「ショー」的に、二月堂の欄干から大きくせり出して振ってくれたりして。
う〜ん…。余りに「観光」的で、ちょっと風情はないけど、ね。
でも、お松明の火の粉もバッチリ写真に収めました。
二月堂は、ね…。高校生の私が、定期テストが終わると必ず、そこまで歩いて行って、半日を過ごしたところ。
ぼんやりと、そこから見える奈良の町を見ていた。
夕方になって、ちょっと風が冷たくなって、やっと帰る気になるまで、ただただ、そこにいた。
う〜ん…40年も前ですか…。
高校生の時の、なんというか…生きることに対する、物憂げで切ない気持ちは、まだ、私の身体の中心部に残っているのに、ね。
ホント、大人になるのは別の自分になることではなくて、外側に、何層もの別の私が増えていくだけで。
中心部分は、変わらずにそこにあるような気がしてならない。
たぶん…その大事な部分は、なおいっそう、人には見せなくなっているのだろうけれど。
私は随分変わったようで、そしてまるで変わっていなさそうで。
でも、30年ぶりにそれを聞くのは、ちょっとはばかられて。
そんなことには触れずにいたのだけれど。
私は変わりましたか?
多分…両方でしょうね。変わった部分と、変わらずにいる部分と。
どの部分を見たいかによっても、印象は変わるのかもしれない。
今、そんなことを考えながら、私自身が自分で変わったと思うのは、そんな「問い」を発しなくなったこと。
10代、20代の私は、疑問に思ったら、すぐ口にしていた。
けれど、今は、自分の中でゆっくりと「問い」を巡らしている。
多分…そんな「問い」は人に発するものではないことが、わかったからかもしれない。
性急に答えを求めても、そんなすぐに答えが与えられるものではないことも。
そう…年を重ねることは、素敵なこと。
こんな風に穏やかでいられるから。
そんなあれこれを考えた夜でした。