【Contents3】〜フォーカシング簡便法(2)体験過程〜
<概観>
・なかなか人の体験過程は言葉にならない。
・表現することによって、やっと人に理解される。
<逐語から見える「体験過程」> ・「歯がゆい」→「イライラ」→「おもしろくない」。このように体験は動いていっているが、「おもしろくない」は無意識に隠れていたわけではない。(精神分析では「本当のものは無意識に隠されている」とする)。循環しながら、それを体験していく。
・「表現した途端に、言おうとしたことが変わる」。これは、フロイトやユングとは異なった体験。
・「言うことが体験を変えていく・動かしていく」。話すことが変わること。
「言っているうちに動いていく」=これがフォーカシングの本体部分。
<「アニマル・クロッシング」>(ペア・ワーク)
・テーマ…「自分の生きざまを振り返る」
・その「生きざま」を動物で表現したら何になる?→その動物は何をしている?
・ふと思いついたことをしゃべる。どんどん変わっていってOK
・出てくる動物には「身体性」がある。→ある種の自分の生きているありさまであることに、あとから気づく。
・象徴化することによって動くし、理解が出てくる。無意識を意識化しているわけではない。
・何らかの動物をイメージし、そこから「意味」が発生する。
・心の真実は1つではない。
<「アニ・クロ」デモ・セッション>
15分〜20分程度の「アニマル・クロッシング」のデモ・セッションが行われることになりました。
前回同様、池見さんは「見ていたい」か「参加してもいい」か「是非参加したい」かを参加者に問いました。
今回、私は「是非参加したい」に手を挙げました。二人いたのでじゃんけんして、私が受けることになりました。
「どんなテーマ?」と問われて、特に思いつかなかったので、「ペア・ワークをやって、ちょっと気になること」をテーマにしました。
先ほどのペア・ワークで、私はネコでした。塀の上をしっぽをピンと立てて、しゃなりしゃなりと歩いているネコ。
ちょっと綺麗な花が咲いているなと思うと、ふと塀から降り立って寄り道をする。
で、また塀の上に戻って、しゃなりしゃなり、と。
時折、塀の上から足を踏み外したりもするけど、落ちるわけではない。
そんなネコの私が、どうして犬を飼っているのだろうと。
飼うなら犬、だった。
ネコを見ているのも好きだけど、飼いたいと思ったことは、ない。
次男の杏樹(アンジー)は、ママである私のお出掛け気配を感じると、後追いする。
健気だけど、ちょっと気の毒になったりもする。「…もうちょっと、気楽にしていていいのよ。」
だけど、いざ私が出掛ける段になると、もう玄関までもやってこない。拗ねている。
で、私が帰宅すると、見ているくせに、玄関までやってこない。「アンジー!」と呼ばれて抱っこされるのを待っている。
…可愛いけど、「大変じゃない?」と声かけしたくなる。
で、なぜネコの私が犬を飼っているのか? が疑問だった。
「ペア・ワーク」でやったように、池見さんの前でもネコの描写をして。
私は塀の上をしゃなりしゃなりと歩くネコになっていた。時折、ヘマをしてずり落ちそうになる。が、落ちないネコ。
なぜ、ネコなのか?
その答えはすぐに分かった。…31年間の教員生活は窮屈だったから。
私はもう、束縛されたくなかった。
気ままに、興味の赴くままに、歩きたかった。
「ネコはネコが飼えないでしょ?」
池見さんはそう言った。
「あ、そうか!」と思った。「気楽にしていていい」と言いながら、どこかで後追いされることを望んでいるんだね。
淋しい、のかもしれない、と初めて思った。
子どもとも離れて暮らしているし。子どもは広島で就職すると言っているし。
そうすると、アンジーがまだ小さい頃、よく子どもの名前と呼び間違えていたことも思い出した。
それから…一緒にベッドにいて、つい、背中をトントンしてしまうことも。
見事に、私の「今」を炙り出す「アニ・クロ」でした!
【Contents4】〜ロジャーズとジェンドリン:シカゴ・スタイルの傾聴〜
<概観>
・「クライエントのEXPレベルによってカウンセラーの聴き方が変わる」。これが「シカゴ・スタイルの傾聴」。
・フォーカシングは病院では上手くいかない。なぜか? 患者が「ドクター中心」だから。
・ロジャーズのいう「自己一致」(=純粋性)とは、カウンセラーが「本物の私として」クライエントに会う、ということ。言い換えれば、自分の体験過程を見ながらクライエントに会う、ということ。日本では理解されなかった。
・ロジャーズは自分の「理解」を確認しようとしている。鏡になろうとするわけではなく、結果として鏡になっている。
<「傾聴」ペア・ワーク>
・聞き手は興味を持って黙って聴く。話し手はストーリー・ラインを落として話す。(話し手は、このときフォーカシングしている。)…10分
・聞き手は話してもいいが、ロジャーズ風の傾聴(理解したことを言う)をする。…5分
・交代する…15分
・振り返り…5分
・全体でのシェア…10分
<「シカゴ・スタイルの傾聴」>
・「聴く方=傾聴、話す方=フォーカシング」、これをセットで考える。
・「感じている」とは、うっすらとした、すっきりしなさ、詰まった感じ。身体に出ていなくてもよい。まだ、概念化できないものを感じられたらよい。
・ジェンドリンの妻メアリーの言葉「フェルトセンス・リテラシーがあれば、フォーカシングは要らない」。「フェルトセンス」という言葉は音楽の世界にはない。
ロジャーズはカウンセリングをカウンセラー側から語り、ジェンドリンはクライエント側から語った。「だから、ジェンドリンの着眼点とロジャーズの着眼点は相補的」という視点が、私の中に残りました。
画像は、朝の杏樹(アンジー)との散歩で見かけた、ご近所の玄関へのアプローチ。
額縁の中のお花は、周囲の背景があって活きてくる、という意味で相補的。