今朝は「読書への誘い」第95号で紹介した高階杞一の詩「準備」を取り上げたいと思います。
これは詩集からでなく、…確か高校生向けの雑誌に掲載されているのを見つけたような…。
その雑誌も、もうないでしょうね。
と思って、「je pense 雑誌」で検索掛けたら、「高文研」という出版社から「1991年〜1995年に発刊された雑誌」と出ていました。
「je pense (ジュ・パンス)」とはフランス語で、英語で言うと「I think」のこと。つまり、「私は考える」。
「je」(=私)を大文字にしていないのは、何か意味を込めているのでしょうね。
英語は常に「I(=私)」は大文字だけど。
…それにしても、2002年5月号からの引用になっているけど…?
この辺りは不明です。
「準備」 高階杞一
待っているのではない
準備をしているのだ
飛び立っていくための
見ているのではない
測ろうとしているのだ
風の向きや速さを
初めての位置
初めての高さを
こどもたちよ
おそれてはいけない
この世のどんなものもみな
「初めて」から出発するのだから
落ちることにより
初めてほんとうの高さがわかる
うかぶことにより
初めて
雲の悲しみがわかる
(雑誌 月刊『je pense』2002年5月号)
何だろう…透明な風を感じた詩、だったと思う。
人は誰しも初めてのことに本能的な怖れを感じるけれど、それは自然なこと。
むしろ、「怖くなんかないさ」とうそぶくことの方が無理があってよくないのかもしれない。
怖いね。…うん、怖いよ。
そうだよね。当たり前だよね。
…ここで急に私は、ゲシュタルトの合宿での「バンジー・ジャンプ」を思い出した。
あれはまさしく、「初めての位置」に立ち、「初めての高さ」を飛ぶのだろうけれど。
チラッと半分ぐらい、身体に受ける風を体験してみてもいいかも…と思ったけれど、残り半分は「いやいや、そんな本能に逆らうような不自然なことをしなくても…」と思ったりした。
ひな鳥は…いつ、飛ぶ決心をするのだろう?
あれだって、上手く飛べなくて、落ちて死んでいるヒナも目にすることあった。
…よくわからないけど、「あ、まずい…」と思った瞬間、地面に激突する気がする。
それは、これまでの人生で経験してきた、「不調時」に陥る瞬間、「え? こんなだった…?」と思いながらみるみる状態が悪くなる、その時に似ているような。
何回も経験してるから…あの「落下」の瞬間は、「え? また?」という感じで、かなりの恐怖。
あれを思うと、バンジーなんて、所詮は「引き上げてもらえる」のだから、大丈夫、という気もする。…実際は、わからないけど。
「落ちることにより/初めてほんとうの高さがわかる」ーーこれはすんなり、わかる。
私の目を引いたのは「うかぶことにより/初めて/雲の悲しみがわかる」のフレーズ。
…そうか…。雲は悲しいんだろうか。
気楽に浮かんでいる気がしているけど。
それは「お気楽」なものではなくて、「漂う悲しみ」を抱えているのかもしれない。
…そうね。雲に聞いてみたり、なってみないと分からないね。
優雅に泳ぐ白鳥が、水中で懸命に水かきしているように。
その立場にならないと、ね。分からないことたくさんあるだろう。
私は、これからも歳を重ねていくけど、「まだ自分には分かってないかもしれない」という立ち位置を忘れないようにしようと思います。
画像は、ご近所で1デイ限りの薔薇のオープンガーデンをされた時のもの。
小人の目の高さにならないと、見えないこともありますよね。