フォーカシングトレーナーで、関西大学にお勤めの星加博之さんのカイロス・フォーカシングの講座に初めて参加しました。
場所は、関西大学尚文館。
カイロス・フォーカシング。
カイロスとは聞き慣れない言葉ですが、クロノス(時系列の時間)に対比される言葉だそうです。
それは、「自分の内(なか)で流れる時間」。
カイロス・フォーカシングは、星加さんの「フォーカシングを時間移動するとどうなるか?」という問いから始まったようです。
配布された資料には、次のような説明がありました。
・トラウマを想定されるクライエントに適用
・ある気がかりを想起したときのフェルトセンスと感じが生じた、最も古い過去イメージ(−)にアクセス
・クライエントとセラピストのフェルトセンスを手掛かりに、トラウマに関連する過去イメージ(−)を心地よい過去イメージ(+)に再編
・CPTSDから回復、新たな意味を発見
PTSDは、1回の衝撃的な出来事による「凍りつき」。
CPTSDは、繰り返される衝撃的な出来事による「凍りつき」。虐待などがこれに当たる。(Cは、complex、複合的な)
もう少し詳しい説明では、「過去イメージ(ー)の再編から生じる二つのフェルトシフト」ということ。
「フェルトセンス」とは、あることについて、なんとなく感じられるもの。重たかったり、モヤモヤだったり。
そして、現実とそれへの反応が乖離しているときのフェルトセンスを「キュー・フェルトセンス」と呼ぶ。
たとえば、問題がない状況でも自分が悪いと感じたり、とか。
その乖離の発見にはセラピストの感覚が有用で、セラピストの「何か、この感じはいつごろからありましたか?」「何か思い出されること、シーン、夢、連想などはいかがですか?」等の問いかけによって、マイナスの過去イメージ、つまり「傷つき体験」にアクセスが可能となる。
その、「傷つき体験」を過去のプラスイメージを想起することで、フェルトシフトさせる。
マイナスの過去イメージをプラスに書き換えることによって、現在感じている「キュー・フェルトセンス」もプラスにフェルトシフトさせる。
それが「二つ」のフェルトシフト。
「カイロス・フォーカシング」の概要説明の後には、星加さんのクライエントさんの事例が紹介されました。
8年間、182回に及ぶカウンセリングで、そのクライエントの「バックグランド・フィーリング」なるものに気づく。
全部取っ払って、なお残るもの、それは何か? おそらくそれがトラウマだろう、と。
ひとりの人のデモンストレーションを見せていただいて。
そのあと、二人ひと組になって、カイロス・フォーカシングを体験する。
…まあ、そんなすぐさまトラウマを出してこられないので、フォーカシングを「カイロス・フォーカシング」の手順で始める。
大学院生の発案で、あみだくじをして、なんと! この会に誘ってくれた友人とのペアになりました。
参加者14名だったので、可能性は薄かったのだけど。
私にとってはありがたかった。
私の、このところの「気がかり」は子どものことなので。
友人でなくてもフォーカシングできるけど、…多分、詳しい事情は説明しないままで、と思う。
友人には今更詳しい説明なしで始めた。
リソースとなる、プラスの過去イメージは、子どもがひらがなを覚えたてのころにくれた手紙。
「まま、だいすき。ままと○○ちゃんは、ずーといっしょだよ。」
大事に保存してあるはず、だけど。…どこにしまい込んだか、分からなくなっているけど。
字の形、までもまざまざと思い出せる。
暖かい気持ちになる。
けれど、一方で、それは過去のあの子でしょ? という気持ちも湧き起こる。
今はそんなあの子はどこにもいない、と。
私の内(なか)で葛藤が起こる。
しばらくして…それでもいいか、という気持ちになる。
それでも…かつて私を暖かい気持ちにしてくれて、そして今も思い出すだけで暖かい気持ちにさせてくれるなら。
それだけで充分じゃない? と思い始める。
そうだ。それだけで充分なんだ。
ありがとう。と思う。
それを味わって、私のカイロス・フォーカシングは終わりました。
葛藤が生じたけど、しかし、プラスの過去イメージの力の方が大きかった。
それで、フェルトシフトが起こった。
これが、プラスの過去イメージの力が弱い場合、どうだろう?
…この辺りは、とても慎重に進めていかないといけないのかもしれない。
その時は、自分のフェルトシフトの余韻に浸っていて気がつかなかったけれど、今、振り返ってみて、そう感じました。
次回、星加さんにお会いすることがあれば、聞いてみようと思います。
画像は潮岬近くの高塚の森。鬱蒼とした木々の間からでも、かすかに、でも確実に届く日の光があれば、生きていけるのだと思います。