暗闇の中の対話〜2021年ファシリテーター集会 第1日目〜
2021/01/10
2021年ファシリテーター集会が1月9日から始まりました。
今回はコロナ禍でオンラインでの開催。
最初に、日本ゲシュタルト療法学会の顧問でもあるアンセル・ウォルト博士の基調講演。
今回の集会のテーマは「Dialogue in the Darkー暗闇の中の対話ー」。
そのテーマに併せたミニワークも途中にあって。
目を閉じ、両手で自分の顔を覆って、「暗闇を体験する」ことをしました。
その後、二人ペアになって各自の部屋に分かれるのだけれど。
そこで私が語り出したのは、「長く暗闇の中で居られない私」でした。シェアをしたときには、そのことについて、それほど深くは考えていなかったのだけど。
今思うと、そういえば、いつの頃からか眠るときに真っ暗にしない、できない、私がいて。
結構明るい、オレンジ色の光のスタンドを点けて眠る。
たとえば慈照尼宅で泊めてもらったときに、丁度の明るさがなかなか設定できなくて、困った記憶がある。
そのときは「え? なんで私、暗くできないの?」と疑問に思った。
けれど、どうしても真っ暗な中では眠れない、私がいて。
真っ暗にするよりは、少々明るめでもライトを点けたい私がいて。
…そのことに驚いた、という記憶。
暗闇に対する私の反応を見ていると、もしかすると、私は何か見たくないものがあるのかもしれない、と思う。
その後、ズームでのデモ・セッション。
ワーカーは、雪への愛着について語っていた。
何か雰囲気が変わり始めたのは、ファシリであるアンセルが、ワーカーの語る雪を評して
「coldではなく、cool」と言ったあたりから、のような気がする。
何か…ただただ冷たい、だけのコールドではなくて、カッコイイの意味もあるクール。
雪に対してワーカーとは同じ感覚を持つ人ばかりではないけれど(むしろ、異なった感覚を持つ人も多い中)、
少なくとも今は、ワーカーの感覚に寄り添う。一緒に居る。
するとワーカーの心がほどけてきて。
何か、ファシリと繋がった瞬間が訪れて。
ファシリをする、というのは、ファシリとしてそこに居るのではなく、
自分とは異なる感覚、感性に、どこまでも寄り添おうとする意思なのだと、そんな気がした。
午後からは、百武さんの講義。
昨秋に受けたズームでのワークショップと重なるところもあるけれど。
昨秋より、一層進化した説明を受けた気がした。
以下は、パワーポイントで提示された資料から。
ルビン:Edgar John Rubin(1886ー1951)デンマークの心理学者
① ある物が他の物を背景として明瞭に知覚される時、前者を図といい、背景に退くものを地という。
② 図と地は同時に意識できない。
図と地はいつも入れ替わる(のが自然な在り方)
赤字で書き加えたものが、パワーポイント資料になく、説明しながら言われた言葉。
現代の場の理論:マルコム・パレット博士 Malcolm Parlett.Ph.D
① 「場」は全体という概念があり、そこにいる人々と「今、ここ」の“空気”によって創られる。
② クライエントとファシリテーターが共同で創造する関係の場
③ グループでは、参加者とクライエントとファシリテーターが相互に場をつくる。
タリア・バーヨセフ・レビン博士2019
☆ゲシュタルトの哲学は3本の柱の上に立っている
1 現象学
2 対話の哲学
3 場の理論
三つの基本的立場(Malcolm Parlett.Ph.D)
1 今、ここでの気づきを大切にする 現象学
2 ClとThの直接の関係をワークの中心にすえる 対話
3 有機体(人)と環境(自分以外の世界)の交流が「場」を定義づける 場の理論
M・Buber(ユダヤ教の神学者)の哲学 Gay Yontef Ph,D
接触を通じて人々は成長し、アイデンティティを形成する。
接触とは「私」と「私でない」の境界の体験である。
M・Buber(1878ー1965)
人は他者との関係において
「IーThou」(対話)または「IーIt」(操作的な接触)に意味を持つ。
※「我ー汝」(対話)
「我ーそれ」(操作的な接触)
ブーバーの「我ー汝」「我ーそれ」は二者択一的に捉えるものではなくて、両方の関係性が必要であるとヨンテフは言っている、という。
ここで、百武さんは「もしかするとマルクスの資本論の影響を受けて、『搾取する、される』関係としての「我ーそれ」がイメージされたかもしれない」と言われていた。
うーん。同時代的な影響も考慮に入れなければならない、視点が加味された。
夕方17時から19時は、マルコム・パーレットさんの講義(及びデモセッション)。
「Gestalt after Fritz」と題して、「フリッツの後のゲシュタルトー原点回帰、コンテンポラリー・ゲシュタルトの発見ー」について話された。
「ダンスのコーチとコーチを受ける人」との関係を例に、「対話」の説明がなされた。
それは、「相互作用」であり、そうして生まれた「ダンス」そのものからもコーチもコーチを受ける人も、影響を受ける、と。
Support is “that which enables” (サポートとは“何かを可能にするもの”)
Feeling support is the antithesis to feeling shamed (サポートされている感覚とは、恥を感じることと真逆のこと)
「恥を感じることと真逆のこと」に対して質問があって、
どんなリスクのある状況でも、安心、安全を感じられる状態である、という説明が加えられたように記憶しています。
豊かな、長い1日が終わりました。
画像は2021年元旦の夜明け。
「暗闇の中の対話」ってまさしくコロナ禍での開催に相応しいテーマである気はするけれど、
人との「対話」を成立させるのはいつでも「暗闇」から始まる気がして。
それは、手探りででも、夜明けを迎えようとする、光のある方向へ向かおうとする意思の表れなのではないか、という気がします。
あなたはあなたのままで大丈夫。ひとりで悩みを抱え込まないで。