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崖から飛び降りた女たちは…〜石垣りんの詩「崖」〜

2017/03/10
崖から飛び降りた女たちは…〜石垣りんの詩「崖」〜
「森友学園」に絡んで、毎日新しい「ニュース」(=これまで知られていなかったこと)が報道されています。
首相夫人の阿部昭恵さんも、名誉校長だっただけでなく何回も訪れて、その教育内容を賞賛されていたようで、そのことも含め、国会での証人喚問を要求されていますが、「私人」だからという理由で、与党が反対しています。

フェイスブックで、阿部昭恵さんがマスコミに応じて発言した様子が動画で投稿されていましたので、私も観ました。
その中で、「私のような、何も出来ない人が…なんでこんなに注目を集めてしまってるんだろう」というような発言がありましたが、首相夫人が「私人」なわけないじゃない!首相夫人だから「名誉校長職」の依頼も来たわけで、と思いました。
その発言が、「両性参画型社会の実現」の集まりに呼ばれた場、というのがあまりにも皮肉だなあと思った次第です。

そんな阿部昭恵さんを観ていて思い出したのが、石垣りんの「崖」という詩。
「読書への誘い」の第12号で紹介したものです。

      「崖」          石垣 りん

 

 戦争の終り、

 サイパン島の崖の上から

 次々に身を投げた女たち。

 

 美徳やら義理やら体裁やら

 何やら。

 火だの男だのに追いつめられて。

 

 とばなければならないからとびこんだ。

 ゆき場のないゆき場所。

 (崖はいつも女をまっさかさまにする)

 

 それがねえ

 まだ一人も海にとどかないのだ。

 十五年もたつというのに

 どうしたんだろう。

 あの、

 女。          

(詩集『表札など』・1968年刊)



石垣りんの詩「崖」に初めて出会ったのは、確か「現代国語」の教科書教材としてでした。どのような時代の中で詩を書いて生きてきたかという、ご本人の自伝的な文章とともに、この詩があったと思います。

 

「美徳やら義理やら体裁やら/何やら。/火だの男だのに追いつめられて。」「とばなければならないからとびこんだ。/ゆき場のないゆき場所。/(崖はいつも女をまっさかさまにする)」という言葉に、追い詰められた女の恐怖が身に迫って感じられたのですが、それより何より怖いのは、「まだ一人も海にとどかないのだ。」という状況。

一体どこにいってしまったのか。追い詰められて死ぬのも怖いけど、死ねずに今もどこかで漂っている方がその何倍も怖い。

 

「死んでも死にきれない」などという言葉があるけど、それは理不尽な状況に対する無念さを表現したもの。

戦争の犠牲になった女たちが、心安らかに死ねるような状況を、残された私たちは作り出しているだろうか?という、戦後15年を経た時点での、強烈な問いかけであるように思います。

…ということは、1960年ぐらいですか。

その5年前ぐらいから「もはや戦後ではない」という高らかな宣言とともに、「高度経済成長期」が始まったのですね。

 

女が一人前の人間として処遇されてこなかったこれまでの歴史を考えると(男女同権も、女性の選挙権も、第2次世界大戦後ですしね)、「両性参画型社会の実現」を目指すという今の状況は、遥かに望ましい社会になって来ていると言えます。

しかし、その実現は「夫の七光り」を浴びて、ではないはずです。

女が自分の足で立って、自分の足で歩いて、そうして、男と手を携えて新しい社会を作っていこう、というのが本来の姿ではないのか。

 

戦後の首相夫人がこのような状態だったら、七十年経った今でも、崖から飛び降りた女たちは、未だに海にとどかないのではないか。

…そんなことを強烈に思ったことでした。


画像は、昨春に琵琶湖湖畔でCDAの集まりがあって、その時に撮影したものです。

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