「最後の授業」 以倉紘平
最後の授業は
黒板をていねいに拭くことから始めたい
深みます宇宙の闇のような黒板
ぼくは黒板の下方に端から端へ直線を引きたい
——この月面の地表の上に
諸君 ひとつの楕円を目に浮かべたまえ
粉をふいた葡萄のような
さっくりと割れた
粉ふき芋みたいな 鮮やかな球形を
ぼくは黒板の隅から隅へ一本の対角線を引きたい
それは宇宙の船から眺めた地球の弧だ
薄い大気の層が闇にとけているのがみえる
——諸君はこの地表に生まれて二十年にみたず
僕がここに滞在を許されるのはわずか二十年余に過ぎない
ぼくは深みます黒板に黄色のチョークで斜線を引きたい
流星のようにサッと
宇宙の永遠の闇から闇へ消え去る閃光
諸君 最後の日にも
この閃光の前に
ぼくがただ呆然と立ちつくすことを黙過せよ
——われらが人生の時間はかくのごとく束の間である
何ごとにも心をつくすこと
人間にできることは
心づくしの他に何もない
別れに臨んでぼくは願う
——深みます天の黒板に
各自の生活が
かがやいてあるように
(詩集『地球の水辺』1992年刊)
昨日付けで、広島での私の最初の友人が小学校を早期退職しました。
親戚も友人も誰一人として知る人のない広島に行くにあたって、その当時入っていた「結婚改姓を考える会」の事務局の人に、「広島で誰か会員さんがいませんか?」と尋ね、紹介してもらった人でした。
初めて会ったのは、その当時の私の自宅。
初対面の印象は、「なんて素敵な人!」。
歳も近くて話をし始めると、なんだか懐かしい気持ちになるような親近感を覚えました。
それから25年、お互いに子どもが生まれ、子連れで旅行もし、…本当にいろんなことがあって、どれくらいの時間を彼女とともに過ごしたかわかりません。
昨春の私の早期退職に引き続き、彼女も…、と思うと、感慨深いものがあります。
以倉絋平の「最後の授業」ですが、黒板を宇宙に見立てての世界が繰り広げられます。
この感覚は、教員でないと少しわかりづらいかもしれません。
授業の始めに、何も書かれていない黒板を前に、まず、最初の語を書く。語ではなく、記号だったりもしますが。
1時間の「板書計画」に従ってきちんと整理するときもあれば、アウトラインしか考えてなくてその場の思いつきで書き進めるときもある。
基本は白。文字に黄色も加えます。
赤や青は読みづらいので、文字を書くときには使いません。
ラインを入れたり、文字を囲ったりするのに使います。
そうして、できれば1時間の授業は1回の板書で収まるようにします。
授業の終わりに、この1時間で学んだことを振り返ることができるように。
昨夜からゲシュタルト仲間のともこさんが「お泊まり」に来ていて、牡蠣のオイル漬けをトッピングにしたペペロンチーノを肴に、二人でロゼを1本空けながら話が弾みました。
ともこさんの大学生のお子さんの教職課程での「板書指導」に話が及んで、「え!今頃の大学はそんな指導までしてくれるの⁈」と驚きだったのですが、そんな「板書指導」なんて受けたことなくて、見よう見まねで自分なりの板書を工夫してやってきました。
…「字が小さいよ!」と、ときには生徒に文句言われながら。
…そうですね。黒板は1つの「宇宙」でしたね。
そうして、教壇に立つ私は、ひとり浮かんでいる惑星だった…。
ときには非常な孤独も感じ、ときには自由に動き回れる「役者」だった。
この詩の最後の言葉、「——われらが人生の時間はかくのごとく束の間である/何ごとにも心をつくすこと/人間にできることは/心づくしの他に何もない」
「別れに臨んでぼくは願う/——深みます天の黒板に/各自の生活が/かがやいてあるように」は、旅立ちに向けての「祈り」ですね。
毎日顔を見て過ごしてきた生徒たちとお別れするとき、私も祈るような気持ちを持ちました。
「どうか、各自が各自の道を切り拓いていけますように」。
同じように、今、広島での最初の友人に祈りを捧げます。
画像は昨年の、竜田川の川べりの桜並木の桜。
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