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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
絵本の世界
2017/08/06
七五調のリズムに乗って〜『グリーンマントのピーマンマン』さくらともこ作/中村景児 絵〜  
ピーマンが、グリーンのチェックのマントをたなびかせて、空を飛んでいる表紙絵です。
「ピーマンマン」って「マン」がひとつ余計? とか思いながら、ページを繰ると…


「『おさかな だいすき。
  おにくも だいすき。 
  やさいも パンも 
  ぎゅうにゅうも、
  ぼくたち だいすき。
  だいだい だーいすき。』」

って言って、ご機嫌な顔で食べてる女の子、男の子。

「『だけど、だけど、 たったひとつ きらいなものが ある…。
   それは、ピーマン。
   だって においが くさいよ。 たべると にがいし、ピリピリ からい。
   ぼくたち ピーマンだけは だいっきらい』」

おやおや。牛乳だってだいすきって言ってたのに、ピーマンだけはダメ、ですかあ…。


…で、泣くんですね。

「『嫌われちゃった、シク シク』
『かなしくなっちゃう、メソ メソ』みどりのなみだをポロポロながして、ウェーンウェーン。
それをみていた やさいや おなべ。
『なきむしピーマンなんて いやだなあ。 ともだちなんかに なりたくないよ。』」

ああ!最悪です。他の野菜にまで嫌われちゃった…。
ところが…


「みんなが ねている よるのこと。
た、た、た、たいへんだ。
バイキンたちが やってきた。
『へへへ…。おいらはのどいたバイキン。やさいぎらいの子の のどをめがけて それ!』」

まあまあ、大変!  野菜たちも、お鍋たちもブルブル震えているばかり。

「みんなにおされた そのひょうし、ピーマンがスポッととびだした。」

すると…、

「『ぺっぺっ、からくて しびれちゃう』『ムッ、ムッ、くさくてめがまわるー!』とバイキンども。」

見事追い払うのですね。
「『すごいな すごいな ピーマンマンは、よわむし なんかじゃ ないんだね。
      なきむしなんかじゃないんだね。ふしぎなちからがあるんだね。
      ピッピッピッピッ ピーマンマン。』」

まあ…いつのまに。
嫌われて、悲しくなって、涙を拭いていたはずの布巾をマントにしちゃったりして、ガッツポーズ。

すっかり自信をつけたピーマンマンは、「はらいたバイキン」が来た時にもやっつけてくれるのです。

あ、「ピーマンマン」って「ウルトラマン」とかの「マン」でしたか。

で、最後は、


子どもたちに、ピーマンもだーいすき!って言ってもらえるのですね。

まあ、ね。偏食をなんとかしようっていう意図はいっぱい見えているんですけれど、ね。
「しつけ絵本」的ですけれど、まあ、いいか、と思うのは、言葉のリズムがとってもいいこと。
基本「七五調」のなだらかな語調に乗せて、それが難しい時には「ピッピッピッピッ ピーマンマン」なんて、ちゃんと、言葉遊び的なリズムに乗せて。
読んでいても、聞きていても、心地良い。

この絵本は、子どもが保育園の時に気に入って、借りて帰ったのが購入のきっかけです。
それでも嫌いな子は嫌い!って言うかもしれませんが、ピーマンの「働き」もちょっと横目で見ておくのもいいかなあと思います。

旅日記
2017/08/05
雑司が谷駅界隈  
昨日は用があって、東京メトロ副都心線の雑司が谷駅に初めて降り立ち、周辺を歩きました。
目的地には1番出口から出るような案内があったのに、どういうわけか反対の2番出口側に出てしまって、改札で駅員さんに「1番出口に出ないといけなかったのですが、ここを出てどの方向に行けば、その1番出口の方ですか?」と聞いたのだけど、駅員さんの答えは「もう一度、駅に降りて、1番出口から出た方がいい。上に出れば分からなくなる」でした。
確かに、1番出口自体が、そうわかりやすいとも思えず、これじゃあ地上に出てしまったら、ますます分からなくなって迷ったな、と思えました。

続き
ボイスアート
2017/08/04
ボイスアートの時間(2)〜鳥になって大空を舞う〜  
一昨日、まやはるこ先生のボイスアートのレッスンを受けに、梅田まで行きました。
この前の週末、フォーカシングのワークショップの前は、気持ちがちょっと穏やかでないところもあったのですが、この日はワークを受け終えた後の、穏やかでいい状態のままではありました。
いつも、時間の最初に「今日の時間に望むことは?」と聞かれるのですが、正直、その日は何かを望む気持ちはありませんでした。

さて。「お辞儀呼吸法」で、身体をほぐして。
立った状態で、まや先生が「ちょっと肩甲骨を意識して、両腕を動かしてみましょう」と声掛けされて。
「私たちの身体は、進化してきた過程を覚えていますから。両腕は、羽であった時代もあって…」
そして、羽ばたくように腕を動かして、離陸していったのでした。

私は思わず、「週末のフォーカシングのワークで、私は、鳥になっては飛べなくて。仕方なく飛行機の翼になってたんだけど…」と口走っていました。
でも、そう! こんな風に肩甲骨を意識したら、飛ぶように腕は動かせて。
そして、7月初めに旭川まで飛行機で飛んだ時に見た、離陸していくときの、家や木や町並みがだんだん小さくなっていく風景や、雲の上にいるときの、雲やら光やら…いろんな光景が思い出されてきて、気づいたら、私は空を飛んでいました。

まだ、飛行機から見た景色に縛られて、自分で旋回したりはできなかったのだけど。
でも、飛行機の翼ではなく、翼を持つ鳥になっていた…。

意識は自由に羽ばたかせることができるのですね。
子どもの頃、辛い時には「現実逃避」で、私は私でないものになっていたりしたけど、ボイスアートでは、私は私でないものになるのではなく、私自身が、できることを一つ増やすように「遊ぶ」ことができる。
そう! 子どもが今までできなかったことができるようになって、楽しみが増える感じ。
…実際に、私の中のインナーチャイルドも、キャッキャ喜んでいるのがわかる。

「現実逃避」だと、現実の自分を否定しているところがあって、「見たくないものを見ないように」目をそらしているから、どこか完全には楽しめない。いずれ終わって、あ〜あ…的な。
ボイスアートのイメージ・ワークは、そのものをそのまま楽しめる。
終わっても、「あー楽しかった! また遊ぼ!」という感じ。
…また、戻りたい時にいつでも戻ってこれる安心感とともに。

鳥になって空を飛ぶのは、フォーカシングのワークの積み残しだったんだ…!
…ということで、これも「未完了」が完了しました。

今度、飛びたい時に自分で飛べるというおまけ付きで。

画像は今年4月の終わりに葛城市で撮ったもの。
今度は、あの木のてっぺんを見下ろせる気がします。

フォーカシング
2017/08/03
私のフォーカシング・レッスン〜池見陽氏のワークショップ〜(5)  
2日目の、今回のワークショップとしては2回目のデモ・セッションがあり、シェアの時間の後、「フェルトセンスと感情の見分け方」の話がありました。
「怒り」は「怒り」のまま変化せず、「怒り」などの明確な言葉になっている。つまり、「感情」は単一焦点的なのだ、と。
それに対して、「フェルトセンス」は変わっていく。「怒り」と表現されていたものが「火山」になったり、「死火山ではなく休火山だった…活動するとは全然思っていなかったのに…」と表現されたり。

…今、打っていて、「フェルトセンス」は表現しにくいから、譬えになったりもするんだと気づきました。
一言で言い表せないような微細な感覚を、なんとか既存の言葉で表現しようとするから、譬えで描写するしかないことも多いのですね。
そのものとのキョリがある程度取れていないと、フェルトセンスにはならない、とまとめられました。

先ほどの「死火山ではなく…」はデモ・セッションでのフォーカサーの言葉なのですが、池見さんは、シェアの時に「(それを聞いて)脳細胞が興奮した…おお、まさしく『推進された“だった”』だ!と…」と言われていました。
体験過程で、「今の気づき」が「休火山だった」んだ…というように「過去を変えた」のですね。

30分ずつ各自でフォーカシングをするペア・ワークの後、「感情というのは、フォーカシングではどういう位置付けにあるのか?」という質問が出されました。

暫く考えた後、池見さんは「生きるプロセスの取り残された一部」と答えられました。
たとえば「怒り」は、本当は◯◯さんに理解してほしいのに、そうではない時に湧き上がってくる感情だったりして、それはその人ともっと豊かな関係を築く契機となったりする、と。
「有機体が語る語」という比喩もある、と。
あるいは、『セラピープロセスの小さな一歩』というジェンドリンの著作には「感情は相互作用を狭窄(きょうさく=せばめる)する」とある、とも。

池見さんから、たくさんのものが引き出せた、「いい質問」だったなあと思いました。

さて。残り2時間、となった時点で、デモ・セッションはあと一人、となって。
「セッションを受けたい人」に手を挙げたのは5、6人。公平にじゃんけんして、最後、二人となりました。
ああ!じゃんけんに勝てるかな? と思ったのですが、相手の方が私に譲ってくれました。(後で聞いたら、「気迫負け」したとのこと。…スミマセン…、私、必死の形相だったのかしら…)

「観我フォーカシング」をしましょう、と言われました。
これはある朝、池見さんが瞑想されている時に、ふと思いつかれたものだそうで。
自分のいろんなものを感じている部分に、感謝したり慈悲を送ったりするもの、だそうです。

私はまず、母が浮かびました。それから、その母に対している自分。それから、子ども。それから杏樹(アンジー)。
母に対している自分が「どんな様子をしているか」と言われて、…瞬時に、口をへの字にして、右足首を内側に折り曲げて、着物を着せられて突っ立っている3、4歳の女の子が出てきました。
ああ!と私の口から声が上がりました。
「これは私のインナーチャイルド!…やっぱり出てきたね…」
馴染みを紹介するように池見さんに描写して、…そうそう、母と対していると私のインナーチャイルドが刺激されるんだわ、と自分で確認していました。

池見さんは、フォーカシングでは用いない「ザブトンを置く」ことを、私には勧められたので、(ザブトンを置くということは、そこに、該当する人を置くことなので)イメージし易かった、と思います。
(後で、なぜザブトンを用いたかの質問には、ゲシュタルトをやってる人はザブトンは使い慣れているだろうから、ということでした。)
母や子どもや、それらとのキョリ感も、私がザブトン置く位置で、池見さん自身視覚的に捕らえられた、と思います。

母とのあれこれ、私の中に生まれる葛藤…そんなことをつらつら話しました。
すると…池見さんは、「では、それに『慈悲』を送りましょう」と声を掛けられました。

「私が健やかで幸せでありますように。
私が苦しみから解放されますように…。」

「慈悲の言葉」はこういう言葉なのですが、実はこの言葉は、私は馴染みがありました。
いつだったか…10年ぐらい前に、アルボムッレ・スマナサーラというスリランカ仏教界長老の著書『自分を変える気づきの瞑想法』の中で出会った言葉でした。でもこれは「グィパッサナー瞑想法」の2、3千年前からの「慈しみの言葉」なのですね。

その言葉を何回か繰り返しているうちに、私はじんわり涙が出てきました。
が、なんだかフォーカシングはワアワア泣いてはいけない気がして、静かに留めていました。
そして、母へのざわざわ感は、次第に収まっていきました。

私の中にある、様々な感情。
それら全てを引っくるめて、「健やかで幸せでありますように」「苦しみから解放されますように」。
これは、「祈り」の言葉ですね。
万事手を尽くして、それでもどうにもならない時には、祈るしかない、と思う時があります。
祈りは、「困った時の神頼み」というような安易なものではなく、切実な願い、である気がします。

「慈悲の言葉」を繰り返しながら、「…そうよね…。出来るだけのことはしているよねえ…頑張ってやってるよねえ…私。それでも上手くいかないのなら、それはもう神さまにでも仏さまにでも、お願いするほか手がないよねえ…。」なんて、自分を認めつつ、あとは委ねる気持ちになっていました。
…これが心を穏やかに、心に平安をもたらすのでしょうか…?

心穏やかになった状態で、私の「観我フォーカシング」は終わりました。

時折、池見さんの方を見ると、目を閉じていらっしゃること2回ほど。
でも、セッションに参加していた人からすると、ほとんど目を閉じていらっしゃることがなかったそうです。
…とすると、稀な瞬間にコミットしたのでしょうか?

池見さんは穏やかで…私が自由にあれこれワークするのを一緒にその場にいてくれた、ような感じ。
「慈悲」を送る声掛けも、絶妙なタイミングだった…気がする。
母に対する感情、それに反応する私自身に対する苛立たしさ、に入る前の、クールダウンさせるかのようなタイミングで。

「寄り添う」ってこういう風なのをいうのですね。
微細な私の心の動きを感じ取って、必要なものを必要なタイミングで差し出す。
それでいて、自分に無理がない状態でいること。
確かに。毎朝の瞑想は必要だわ。
ワークショップがその関係で午後からになっても、仕方のないことだったんだ…。

あっという間の2日間でした。ですが、とても濃密な時間でした。
1年半前の私の「未完了の問題(unfinished work)は、完了しました。

画像は、最近「先生、結婚したよ〜」と幸せそうな写真を送ってきてくれた教え子に送った、お祝いのプリザーブドフラワー。

フォーカシング
2017/08/02
私のフォーカシング・レッスン〜池見陽氏のワークショップ〜(4)  
最初のセッションの後、「クリアリング ア スペース」の説明がありました。
「クリアリング ア スペース」とはフォーカシングの技法の一つなのですが、どこから来たものかはわからない、と言われました。
フォーカシングが影響を受けた「現象学」では「括弧に括る」というそうです。
つまりは、いろんな「気がかり」から間を置くこと。
「間が置けない人を『間抜け』と言うんですよ」という余談付きの説明に、なるほど! と一同うなづきました。

「クリアリング ア スペース」のやり方(いろんなやり方があるうちの1つ)

1 「そのことを思うと、どんな感じがするか? 感じてみて」と「ことがら+感じ」を出してもらう。(フェルトセンスとして感じてみる)

2 「そのことを、ちょっとの間、置いておくとしたら、どこがいいでしょう?」と、ちょうどいい場所を見つけてあげるよう促す。見える場所の方がいい場合もそうでない場合もある。「捨てる」類いはいまくいかない。たとえば、海に捨てたとしたも、また、海岸に打ち上げられたり、と返って来たりする。どんな感情も「自分の気持ち」だから大切に扱う。(適切なキョリを見つける)

3 「他にありますか?」という声かけで、次々と自分の「気がかり」に対して、適切に置ける場所を探していく。

「どうしても置けない場合は、どうすればいいですか?」という質問がありました。
その場合は「置けないことに気づく」ことが大事で、「それを置けない自分はどんな自分?」と「観我(かんが)」に向かうか、「それはどこに行きたがっていますか?」と「もの」に主導権を渡す。
それでも置けない場合は、「そんな気持ちがあったことに気づいておきましょう」と「置けない」自分を受け入れる。

「クリアリング ア スペース」を行うと、出してもらう「ことがら」の、具体的な中身が問いかける人にわからなくても、その「ことがら」を出している人は、それとのつきあい方が変わるので、問題そのものが変わる。
つまり、「悩み」とは「悩むこと」ではなく、それとのキョリが取れないことが問題なのだ、と。

「クリアリング ア スペース」とは、「心の中を片付けて、空間を作ること」である、と。
高野山でも「悟りを開きたい人は部屋を片付けなさい」と言われるそうな。で、実際に部屋の片付けをするそうです。
心理現象と物理現象は繋がっているのだな、と思いました。
確かに。散らかった部屋にいると心が荒んでいくし、精神衛生上も良くないんだ、と。

「クリアリング ア スペース」を初めて私に教えてくださったのは有村凛さんでしたけど、その時は画用紙を使って、でした。
私は、視覚化されるこの方法が、結構気に入っているのですが、画用紙がない場合でも「クリアリング ア スペース」が出来るんだなあ、というのは発見でした。
イメージ化が苦手な人には、視覚化できる方がやりやすいかもしれません。
人にもよるし、状況にもよるんですが、やり方が増えたのは嬉しいことです。

さて。初日はここまでで、2日目の最初の時間に、ジェンドリンの「フォーカシング 6ステップ」の説明がありました。

ジェンドリンの「フォーカシング6ステップ」

1 「クリアリング ア スペース」
2 フェルトセンス
3 ハンドル(見出し・手がかり)表現をみつける
   (ハンドル表現=この言葉で表現すると、なんとか全体がつかめる、という言葉)
4 ハンドル表現をリゾネイト(響かせる・確保する)する
5 (理解のための)問いかけ(6つ)(「もやもや」はフェルトセンスの例)…その場にふさわしいものを選んで使う
   ① この「もやもや」はあなたに何を伝えているのでしょうか?
   ② この「もやもや」はいったい何でしょう?
   ③ その状況の何が「もやもや」みたいなのでしょう?
   ④ この「もやもや」は何を必要としているのでしょう?
   ⑤ この「もやもや」とかけて、その状況ととく、その心は? (なぞかけ)
   ⑥ 「もやもや」と一緒にいましょう。何か浮かんできますか?
6 受け止める

この6ステップは直線的に進むのではなく、2→5については、何回かグルグル回るイメージ。
そして、この2→5のサイクルを回すことが大事で、うまく回らない時に、「5」の6つの問いかけがあるのだと。

フェルトセンスが強い感情となってきたら、少し遠ざける。
その時の声掛けは「ちょっと遠目に見てみましょう」。
他に…「この辛さは、私にとってどんな意味があったのだろう?」「この辛さはあなたに何を伝えたいのだろう?」などの声掛けで、サイクルが回る、と。

内省力が弱い人には「プレセラピー」が必要である、とも言われました。
「感じること」を予め、「教育する」のだそうです。

池見先生は『傾聴 心理臨床学 アップデートとフォーカシング』という最新のご著書(2016年3月)のpp.130-131をコピーして配布してくださったのですが、そこには「5つの問いかけ」が記載されていました。
…つまり、出版されてから、この半年足らずで、6つ目の問いかけが増えたのですね。
常に「より良いもの」を求める、先生の姿勢を感じました。

さすがに、今日はここまで、でしょうね。
画像は2日目の池見陽氏。グラサン・短パン姿での登場にちょっとびっくり。
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