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組織で働くということ

2016/10/17
「読書への誘い」を更新するのに、かつて作ったファイルをPDFに置き換える作業をするのですが、先日その作業をしていて第15号が二つあることに気づき、ああ、そうだった、と15年前の葛藤をまざまざと思い出しました。

岸田秀の『不惑の雑考』という随想集から「死からの逃亡」というひとつのエッセイを選んだのですが、その主旨は「死と直面することを避けるな」というものでした。このエッセイは次のような一段で終わります。

昔の人は死を前にして辞世の歌を詠んだし、とくに武士はいかに死ぬべきかをつねに念頭に置いていなければならないとされていたし、切腹という儀式化された自殺もあった。つまり死に対する文化があった。その文化は今や崩れてしまったが、それは、この前の戦争中、軍人たちが玉砕だの特攻隊だのと言って、日本の伝統的な死の文化をあまりにも無意味なことに乱用したためではなかろうか。そのために、戦後はその反動で、あたかも死のような不吉なものは存在しないかのように、明るく楽しく生きるのが正しいとされたのではなかろうか。そのためわれわれは、自分の死であれ家族の死であれ、死に直面するのを特に嫌がるようになったのではなかろうか。しかし、死という誰にとっても不可避の現実を否認した上で成り立つ「明るく楽しい生活」とは偽りのものでしかない。死を生きないことは、結局、生を生きないことになるのではなかろうか。



これのどこが問題なのか、15年経った今でもわからないのですが、当時の勤務校の校長は「死の問題を扱うのは、学校現場において不適切である」という一言で却下したのでした。

まさしく岸田秀の主張する「死と直面することを避けるな」と言わざるを得ない状況がそこにあったわけです。

「何が問題なのですか」と問い糾しても納得のいく回答は得られませんでした。

その校長は元々国語の教員だったのですが。(なんとまあ…喜悲劇、ですね…。)

このまま平行線だと、この校長は「誘い」そのものの発刊を禁止するかもしれない、という危惧を抱いた私は、「わかりました」と引き下がりました。

そして、同じ本から違う箇所を選んで「第15号」を作り、全校生徒に配布したのです。

けれど、この「校長判断」に納得いかない私は、自分のPCには元の「死からの逃亡」を「第15号」として残し、しぶしぶ作り直した方を「第15号-2」として残していたのでした。

 

理不尽な校長判断に「では、止めます」という方を選ぶこともできたのですが、私は「多くの生徒にまだまだ伝えたいことがある」という気持ちが強かったので、この時は妥協することを選びました。

次年度、この校長の下では「全校生徒配布」を止め、自分のクラスと授業で受け持っているクラスに配布し、それから「『誘い』いいね。配らせてくれる?」と言ってきた同僚には提供することにしました。

転勤しても、いろんな校長、いろんな同僚がいましたから、「全校生徒配布」にはこだわらない方が制約なしに「誘い」を作れると思い、そうやって10年あまり作り続けて200号まで達しました。

 

きちんとものが考えられる人がヘッドであってほしいですが、なかなかそういうようには世の中できていません。

そんな中で、いかに自分を曲げないでやっていくかは、どんな仕事をしていてもつきまとう問題なのではないかと思います。

二十代、三十代では潔く「では、止めます」という方を選んでいましたが、四十代になって、事態はそうそう変わらないのだから、しぶとく粘り強く継続する方がいいのではないか、という考えに変わっていきました。

「妥協すること」を負けだと思わなくなってきたのだと思います。「負け」はそれで止めてしまうこと。

でも、そういう風に思えるようになったのは、二十代三十代の「白黒はっきり」の時期を経たからなのですね。

そう考えると、人生に無駄はないとつくづく思います。

同時に、二十代三十代の人の潔さを支えられる自分でありたいと、今はそう願っています。

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