生きている間にできることは、イメージすることだけ。
選べる、というのが、仏教の基本。
但し、自分で選ぶことが大事。「人の価値観を引き受けない」ことが大切。
「こうじゃないといけない」は、平成の最後ぐらいから緩んできて、何でもよくなってきた。
「昨日までこうだったけど、今日からは、こう」が大丈夫になった。
日本人はネガティブな発想をしがち。ネガティブは、過去の出来事であって、今必要ないのに。
楽天的に考えられないのはDNAの関係。だって、楽天的な人は早くに死んでしまっている!
(生き残った人はネガティブに考えて、対策を立てた人、の意? 常に心配して長生きするのもなあ…ってちょっと思った。)
何かが起こる直前まで幸せな方が良くない?
だから、今、幸せになる工夫を。ただし、「ずっと幸せでいる」のは難しい。
心配するよりも、「幸せでいること」に照準を合わせること。
それには、工夫が要る。「生きる工夫」「幸せになる工夫」。
本当は今、あらかた幸せで、自分が辛かったのは過去なのに、原因を探すことで過去に目が向いている。
「どうしよう…何が悪かった?」と思って、過去を引っ張ってくるより、その痛みに「対処」したほうがいい。
過去に遡るより、今は「対処法だけ」のクセをつける方がよい。
本当にしんどいときの対処法は、辛いこと、悲しいことを、足の裏から下側に落とし、苦しみを根っこにする。
苦しみを自分に引き受けることは大事だけれど、横に置くことが必要。
それには、足の裏から下ろしていくイメージ。ゆっくり息を吐いて、ゆっくり息を吸って。
人間は幸せになるために生まれてきた。
自分がしたことは自業自得で、自分で背負うしかない。
人は、他の人の苦しみには、肉体が違うから寄り添えない。
一緒には走ってくれても、引き受けられない。
(…そうね。苦しみは根っこに下ろすーーーのは、何か、大地を踏みしめて、安定してすっくと立っている、ような。
苦しみが苦しみとしてだけ存在するのでなく、私の根っことして、私を私たらしめるものとして支えてくれる、ような。
ああ、本当に。そうすれば、まだ生きていられる、ような感覚。)
弘法大師の言葉「そのまま、そのまま」。
人は、私の出家に興味を持つけれど、私にとっては今なお、お坊さんでいることの方が、大事なこと。
飽き性の私がなぜ今もお坊さんをしているのかは、「このまま」でいいとされるから。
私はこれまでの自分と違うようになりたいと思ってお坊さんになった。
私はこういう風に生まれたけど、死ぬときはこれまでの自分と違って、立派になって死にたいと思った。
そんな風に考えていた私にお師匠さんは、「おまえは金平糖を知っているか?」と問うた。
人間は金平糖のようなもの。
大きなところから生まれてきて、大きな命に帰るだけ。
その下のところには大日如来がいらっしゃって。
苦しみを根っこに落としていくと、下を支えてくれている大日如来がサポートしてくれる。
金平糖の生き方。は、完全自己肯定。せっかくこれで生まれてきたんだったら、これで生きてみる。
何でも自分にあると思って生きるか、足らないと思って生きるか。
自分に足らないものは「外注」に出し、自身の「そのまま」を受け入れる。
人の価値観、親の価値観を引き受けない。
自分には自分の答えがある。
少なくとも、自分の価値観と合わないものは手放す。
(金平糖は突起が外に向かっていっぱい出ていて。いっぱいデコボコがあるけれど、そのままでいい、と。
…しかし、デコボコがありながら、なにか、美しいかたちをしていて。
そして、色もさまざまで。
そんないろいろのデコボコのまま、いろいろの色のままでいい、と。
…そうか…。
下で支えてくれているものが、大日如来でも別のものでもいいんだけれど、と言葉を足されたけれど。
何か、大きなものに「委ねる」気持ちが心の平安につながる、のかもしれない。
人間に与えられたイメージする力は、時に、変えられない過去や、やってきてもいない未来を想像して自分を苦しめたりする。
けれど、今を支えるエネルギーを生み出しも出来るのだと知りました。
私にも、無意識に引き受けている「価値観」がまだまだたくさんありそうで。
半世紀を生きてきて、もういっぱい手放した、気でいたけれど、違ってたな…と。
それを「点検」してみようと思ったことでした。)
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