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  1. コラム
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沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム

沙羅 Sara の「ほっと一息」コラム
日々の暮らしの中で、ちょっと気づいたこと、ほっと一息つけるようなことがらをコラムとしてまとめました。
あなたの「お役立ち」になるかどうか、心許ないですが、興味を持った「カテゴリー」から読んでみてくださいね。

カテゴリーごとに選べます。
選択
折々の言葉
2020/01/07
「なんとなく」を軽視しない〜折々のことば・鷲田清一#1671〜  
2019年12月17日の「折々のことば」。
青木真兵の言葉。

「なんとなく」を軽視しているから、実は誰もが感じている「もやっ」を切り捨てて、「きちっ」としたものしか信じなくなる。


鷲田清一の解説。

人はクリアな判断のみに拠(よ)って生きてはいない。
「なんだか気持ちが悪い」とか「いつもはできるのに今日はできない」とかいった「なんとなく」を甘く見ていると、判断や感覚に狂いが生じると、奈良の山村で私設図書館を開く歴史研究者は言う。
もろもろの制度不全もここに一因がありそう。
青木海青子(みあこ)との共著『彼岸の図書館』から。

続き
言葉
2020/01/06
「自分で自分を育てる」視点〜「読書への誘い」№137 Noteー考えるヒントー〜  
年末に10代の人に会うことがあって。
母の忘年会に付いてくる彼に、退屈しないで済む何か、を渡そうとして、
そうそう、「読書への誘い」の印刷残りのプリントあったっけ…と思いだし。
約束の時間前に急いでルームに寄って、何枚かの「読書への誘い」を取り出したのでした。

その時に第137号を見つけて。
その号は『もしもウサギにコーチがいたらー「視点」を変える53の方法ー』(伊藤守著・大和書房・2002年刊)というコーチングの本を紹介していました。

紹介リード文には


コーチングというものがあるのをご存じですか?
ある目的を達するために、精神的(メンタル)な面を含めてサポートする、言ってみれば「指導者学」です。
「教える」のではなく、本人の「やる気」を育てるコーチングの考え方を、ちょっと探ってみませんか?


ということを書いていました。
そして、<コーチングとは何か>の項から、本文紹介を始めていました。



<コーチングとは何か?>

イソップ物語のウサギとカメの話はとても有名です。

子どもの頃、祖母から歌つきで話してもらいました。

「♪もしもしカメよ、カメさんよ〜。世界のうちでおまえほど、歩みののろいものはない。どうしてそんなにのろいのだ。なあんとおっしゃるウサギさん……♪」

そして最後に祖母は「油断大敵」で締めくくるのでした。

 

たまたま私は卯(う)年で、祖母がウサギが愚かだと言うたびに、自分が言われているようで不愉快でした。

確かにウサギは慢心していた、しかし、私は心情的にウサギの側にいました。

だから、もし自分が今、ウサギのコーチだったら、ウサギにはレースに完勝させたい。

それ以前に、カメをからかったりするような、真似はさせなかった。

それから、レースのあと、イソップなんかにゴシップを書かれない方法などについても話し合っておきたいなどと思ったりしたわけです。…

 

しかし、実際にウサギをコーチするとなったら何をどのようにするのか具体的な策が必要です。

単にウサギとカメのレース結果を知っているという立場から意見するだけで、ウサギが動くとも思えません。

…この状況でウサギが考えを変え、自発的に行動を変えるようになるために、「あなたがコーチならウサギとどう接するか」について考えてみてください。

 

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年中行事
2020/01/04
災い転じて福と成す〜沙羅Saraの新年会2020〜  
「来年も新年会、やるんですよね?」という、昨年12月のゆうこさんの言葉に押されて。
「例年」にするつもりはなかったのだけど、今年も1月3日に「宝山寺参り」を行いました。
10時に生駒駅に集合して、参道の坂道を登る。
まあ、30分ぐらいの行程だけど、結構、…そう日頃の運動不足がたたって、キツい。

お参りはまあまあの人出で。
大きな鳥居をくぐる前に、アンジーは抱っこ。
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仏教の学び
2019/12/26
五蘊(ごうん)から始める〜浅田慈照尼と読む『ティク・ナット・ハンの般若心経』(1)〜  
先月、浅田慈照尼宅を訪れたとき、私は1つのことをお願いしました。
それは、『ティク・ナット・ハンの般若心経』(馬籠久美子訳・2018年4月第1版第1刷・野草社)を一緒に読んでいって欲しい、ということです。

ティク・ナット・ハン師の『ブッダの<気づき>の瞑想』という本を、どういういきさつからか、自分で探して持っていました。
そこに、ともこさんの紹介で櫻井詢晃(じゅんこ)さんの「Zoomでサンガ〜仏陀の呼吸の瞑想」に参加するようになって、テキストの『ブッダの<呼吸>の瞑想』を買い求め、定期的に『<呼吸>の瞑想』に触れるようになりました。
その後、ティク・ナット・ハン師の本として『般若心経』があることに気づき、取り寄せました。
この本を手にしたのが、浅田慈照尼宅を訪れるようになってからで、そのふたつが私の中で結びついて、「そうだ! この本を一緒に読んでいくことをお願いできないだろうか?」という思いが湧き起こってきたのです。

一緒に、などということは「おこがましいこと」と認識しています。
しかし…と私は思うのです。
お経は基本「如是我聞」、つまり「是(か)くの如(ごと)く、我は聞き」という、教えを説いて聴かせていただいた者が伝える、という形を取る。
しかも、般若心経は、智慧第一の「舎利弗(しゃりほつ)」という弟子に語りかける形態。
般若心経の中では「舎利子(しゃりし)」として出てくる。「子」は男子に対する尊称だったか、と思います。…私の漢文の知識では。
なぜお釈迦さまが舎利弗に語りかけたか、という問題は、やはり、舎利弗でなければならなかった、気がしています。

おそらくは…舎利弗は、適切な「問い」を発する人ではなかったのか?

そんな風に思います。

話、というものは、「問い」があって深まっていくもの、という認識を、私はしています。
ソクラテスの「問答法」ではないですが、適切な「問い」があって、「教え」は更に開かれる。
受け手が自分の「認識」を正確に確認するための「問い」が、より深い「教え」を導く、と私は認識しています。
だから、「答え」よりも「問い」が大切だと思うのです。

私は、これまでの私の人生をかけて、全身全霊の「問い」を投げかけたいのです。…他ならぬ浅田慈照尼に。
教えを請う、ということは、そういうことではないか、と私は考えています。

ティク・ナット・ハン師の本をテキストとすることに、浅田慈照尼は同意してくださって。
他の人の訳本でなくてよかった、と言われました。
ティク・ナット・ハンさんは、サンスクリット語から直接訳されているから、と。
他の方だと、漢語訳からの訳本となり、直訳ではなくなる。
それは、漢語訳をした人の解釈が混じってしまうことになるから…ということでした。

そういった「事情」も知らずに選んだのですが、やはり、こういうことも「出会い」なのか、という気がしました。

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言葉
2019/12/24
たとえ胸の傷が痛んでも〜アンパンマンのマーチ〜  
12月19日。夜7時から、秋から週1回通っている西和自主夜間中学の、年末パーティーがあって。
みんなで料理を作り、楽しくおしゃべりして。

最後に、この会を仕切っておられた事務局の山本直子さんが、みんなで歌を歌いましょうと。
「赤鼻のトナカイ」などのクリスマスソングもあったけれど、
山本さんのイチ押しは、「アンパンマンのマーチ」。


  なんのために生まれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのはいやだ!
  今を生きることで 熱い心燃える
  だから君は行くんだ 微笑んで

  そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び
  たとえ胸の傷が痛んでも
  ああアンパンマン 優しい君は
  行け! みんなの夢守るため

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